日常生活

慣らし保育の朝に見た、泣く子も笑う子もみんながんばっている理由

保育園の朝、門の前で泣いている子をよく見かけます。それを見ながら、「うちはどうだったかな」と思い出すことがありますし、泣き声を聞くと、今でもちょっと胸がぎゅっとなることがあります。たった数分の出来事なのに、あの朝のやりとりには、子どもも親もいろんな気持ちが詰まっているんですよね。

泣いている子を見るたびに思うこと

大人からすれば「たかが保育園」かもしれません。でも子どもにとっては、「親と離れて過ごす」という大きな一歩。

玄関のドアの前で泣きながらママの腕にしがみついている子や、「行きたくない」と座り込んでいる子。それを前に、必死に笑顔をつくるママや、優しく声をかける保育士さん。

自分の子が泣いていなくても、そんな姿を見ると、こちらまで苦しくなることがあります。

「あのママ、ちゃんと朝ごはん食べられたかな」
「帰り道、泣いた子の話を聞いてるのかな」
そんな想像をしてしまうくらい、朝のあの光景は濃密なんです。

「泣いている=ダメ」じゃないと気づいた

登園時に泣いている子を見ると、「ちゃんと行けるようになるかな」「いつまで泣くんだろう」と思ってしまうこともあると思います。

でも、泣いているというのは、その子が自分の気持ちをちゃんと出している証拠なんですよね。

大人だって、新しい環境や人間関係に不安を感じることがあります。子どもなら、なおさら。言葉にできないぶん、涙というかたちで表現しているだけ。それって、すごく自然なことなんだと思います。

「泣かなくなること」だけがゴールじゃない

泣いている子のママからすると、周りの子がスッと入っていく姿がまぶしく見えることもあると思います。

でも、それぞれの子に、それぞれの“慣れ方”や“時間のかかり方”があります。

無理やり泣き止ませようとしたり、「泣かずに行けたらエライ」と言ってしまいそうになるけれど、それよりも「今日もがんばったね」って声をかける方が、ずっと心に残る気がします。

登園がスムーズになる日は、きっと来ます。でも、たとえ泣きながらでも保育園の中に入っていったなら、それはその子なりのがんばりなんですよね。

親もまた、がんばってる

そして、子どもだけじゃなくて、親も朝からがんばっています。

子どもを送り出すまでの準備、玄関でのやりとり、保育士さんに預けたあとの後ろ髪を引かれるような気持ち。それら全部を抱えたまま、仕事や家事に向かっているんです。

だから、あの朝の泣き声は、子どもたちのがんばりの証でもあり、親たちの努力の証でもあるように感じます。

おわりに

保育園の朝には、泣く子もいれば泣かない子もいて、笑っている子もいます。誰かが正解というわけじゃないし、比べるものでもありません。

泣き声が響くあの時間を通して、私は「みんなそれぞれのやり方で前に進んでいるんだな」と思うようになりました。

登園の朝って、ただ子どもを連れて行くだけの時間じゃなくて、親子で毎日積み重ねている“ひとつの経験”なんですよね。そしてそれは、ある日ふと「あの頃、がんばってたな」って思い出になる気がしています。