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娘が噛まれた日のこと
保育園に通い始めて間もない頃。慣らし保育が終わり、やっと少しずつリズムが掴めてきたかなと思っていた矢先、先生からの連絡帳に書かれていた一言が目に飛び込んできました。
「今日はお友だちに噛まれてしまいました。冷やして様子を見ています」
頭の中が真っ白になり、胸の奥にふつふつと怒りのようなものが込み上げてきました。
「なんで?」「どの子?」「先生はちゃんと見てたの?」
とにかく、その日は気が気じゃなかったのを覚えています。
それだけならまだしも――同じ月に、同じ子に、2回も噛まれたんです。
2回目の報告を受けたとき、私は冷静ではいられませんでした。
「先生と話をしたいので、私(パパ)が迎えに行きます。」
そういって、仕事を早めに切り上げて、迎えに行きました。
思わず先生に強い口調で詰め寄ってしまい、「この前噛まれたばかりですよね?」「園として、何か対策はしているんですか?できているんですか?」と問い詰めた自分の姿を、今でもはっきりと覚えています。
怒りの奥にあった「不安」と「無力感」
今思えば、あの怒りは「娘を守ってあげられなかった」ことへの無力感と、「また起きるかもしれない」という不安から来ていたのかもしれません。
保育園という、親の目が届かない場所で何が起きたのか分からない。その状況が、私にはとても怖かったんです。そして、先生からの説明にもどこか他人事のような印象を受けてしまい、ますます感情が抑えきれなくなっていったんだと思います。
特に当時は送迎バスに園児が置いてかれて亡くなった事件など報道でよく見ました。
なので、なおさらトラブルに関して敏感になっていたんだと思います。
帰宅後、娘の腕にうっすら残った歯型を見て、「この子にこんな思いを2回もさせてしまったのか」と、自分を責める気持ちにも襲われました。
先生とのやりとりで感じたズレ
保育園に着いたときに別室に連れてかれて、担当の先生と園長先生と主任の先生が3人で話をしました。
「ちょっと目を離したすきに…」という説明に、さらにモヤモヤしてしまいました。
私としては謝ってほしいわけではなく、、というよりは謝罪は前提で、その先の話をしたかったです。
はっきりと「謝罪を聞きに仕事を切り上げて迎えに来たわけではありません。」と、、
かといって喧嘩をしに来たわけではありません。
もう少し具体的に「何があったのか」「今後どうするのか」を教えてほしかった。
きっとそれが知れていれば、私はもう少し落ち着けたのかもしれません。
子ども一人で悲鳴をあげている私たちからしたら、複数の子供を見なければいけない保育士さんが大変な職業なのは重々承知です。
ですが、何か起きたときに「大変だから仕方ないですよね」となる話ではありません。
子どもが被害に遭った側になったとき、親ってどうしても「守らなきゃ」というスイッチが強く入ってしまうんですよね。
感情のコントロールって、本当に難しいです。
噛んだ子にも事情がある
その話を受けたときは感情が先走ってしまいましたが、噛んだ子も悪気があって噛んだわけではないんですよね。
当時は1歳のクラスでしたが、1歳の子供は噛み癖がある子もいます。もれなく私も自分の娘に噛まれて痛い思いをしたことがあります。
噛んだ子も、何かしらの理由があってそうなってしまったんだ。
何かを伝えたいけれど、言葉でうまく伝えられなかったのかもしれない。
その子自身も混乱していたのかもしれない。
一方的に「悪い子」と決めつけていた自分に気づいて、恥ずかしくなったのを覚えています。
3年後の今だからこそ思うこと
あれから3年が経ちました。
かつて娘を噛んだあの子は、今や娘の仲の良い友達の一人です。
トラブルがきっかけで、一時は親も子も揺れ動きましたが、子ども同士の関係は時間と共に変わり、育っていくものだと実感しています。
そして、上では保育士の先生方にもいろいろと書きましたが、みんな良い先生だと思っています。
娘も先生の事を大好きです。
もしかしたら、私はめんどくさい保護者だと思われているかもしれませんが、娘を守るためなら甘んじて受け入れましょう笑
今思い返すと、あのときの経験は親子ともに成長の糧になりました。
保育園という場が、子どもたちにとっての学びのステージであり、トラブルさえも大切なプロセスの一つだと受け止められるようになったのです。
まとめ|子ども同士の関わりは、親の学びにもなる
保育園でのトラブルは、子どもだけでなく親にとっても試練です。
自分の感情に正直になって、でもその感情を他者にぶつけすぎないためには、やっぱり時間と気持ちの整理が必要でした。
娘は今も保育園で、いろんなお友だちと関わりながら、日々少しずつ成長しています。
私も、そんな娘の姿に背中を押されるように、親として少しずつ柔らかくなっていけたらと思っています。